「命あるものの本質を捉えたい」魚譜画家の仕事

           

「命あるものの本質を捉えたい」魚譜画家の仕事

〔連載:クリエイターのお仕事インタビュー #005〕

取材・テキスト/中山 薫


会社勤めの傍ら、趣味で描き始めた魚の絵。SNSで地道に発信し続けた結果、仕事のオファーが来るようになり、2016年に画家として独立したという長嶋祐成さん。そもそも、なぜ魚を描くのか。最もシンプルな疑問を投げかけてみた。


【Profile】
長嶋祐成 Nagashima Yusei
1983年大阪市生まれ。
​京都大学総合人間学部卒。現代思想を専攻。
卒業後、思想と社会の接点を模索してエスモードジャポン(服飾専門学校)に進学、クリエイティブを学ぶ。
同卒業後はアーティストブランドに1年間勤務ののち、広告・コミュニケーションの業界へ転職。7年間ディレクターを勤める。その傍ら行っていた画業を2016年4月から本業とし、石垣島へ移住。
東京を中心に個展を開催しながら水族館の内装(魚名板など)や、『ゆく川の流れは、動的平衡』(福岡伸一/朝日新聞社)ほか書籍の挿画、印刷物の挿絵、ウェブサイト用のイラスト制作などに携わる。
著書に絵本『きりみ』『THE FISH 魚と出会う図鑑』(ともに河出書房出版)などがある。

00_profile.jpg

試行錯誤から生まれた自らの表現のための技法

--独立するまでは広告の仕事をなさっていて、絵はどのように学んでこられましたか?

長嶋:エスモードでデザイン画を学んではいましたが、絵画そのものは主に独学です。昔から習い事が苦手なこともあって、体系的に技法を学んだことはありません。当初は油性ペンで輪郭をとり、絵の具で色をつけていました。

自分はどんな表現をしたいのか、魚の何を描きたいのかを追究し、試行錯誤を重ねて今の技法に辿り着きました。遠回りをしている部分もありますが、自分が表現したいものに直結した描き方であることに今は満足しています。

Bigfinreefsquid.jpg
クワイカ


--長嶋さんの絵は画面で見ると、ものすごく光や透明感を感じます。すべて手描きなのでしょうか。

長嶋:はい、すべて手描きです。水彩画の用紙と筆を使い、絵の具は主に日本画用のものを使っています。

魚の体の表面には金属的な光沢のある膜があり、その上に透明のプラスチックのような鱗(うろこ)が乗っている。その構造によって、色はあるけど透明感があるという見え方になるのだと思います。

それを紙の上に表現するために、絵の具を何層にも重ねて色を出すという手法をとっています。デジタルの画面で見ると伝わりにくいかもしれませんが、原画をご覧いただくとその技法の絵画的な側面がよくわかると思います。

--一般的に、図鑑に載っているような魚の絵というと細密画のように鱗まで描いているものが多いですが、長嶋さんの場合はそこの表現が独特だと思います。

01_madai.jpg
マダイ


長嶋
:以前は鱗の1枚1枚まで精確に、細密に描いてこそだと思っていました。それをしないのを、どこかで手抜きのように感じてしまうコンプレックスもあったと思います。

ところが鱗を丁寧にみっちり描いてゆくと、どうも自分の表現したい魚の姿とは離れてしまう。それは僕のやりたいことではないんだなと次第に気づきました。

たとえば印象派の絵って、油絵の具を点や面でざっくりと載せているだけで細かくは描いていないのに、離れて見るとすごくリアルに情景や質感が伝わるじゃないですか。光や風までその場にいるかのように表現されていて。

僕がやりたいのもそれに近く、魚を見たときに好きで意識がフォーカスするポイントを、自分の感じたままに表現したいと思っています。

好きだった広告の仕事。あえて退路を断つべく独立


--趣味だった絵が仕事になるまでの経緯をお聞かせください。

長嶋:会社勤めをしながら趣味で描いていた魚の絵に、エッセイを添えて週1回、ブログに掲載していたんです。5年ほどたった頃、個展をやらないかと声を掛けてくださった方がいて。お会いしたら「やりましょう!」と、会場から日取りまでその方が決めてくださったんです。

そこで、いろいろなところに告知はがきを送ったり、会場の芳名帳に記名していただいた方にお礼状を出したり、小さなことの積み重ねで仕事の依頼が少しずつ増えてきたという感じです。

魚の絵に学名や英名を添えて載せていたため、海外からも仕事の依頼が来るようになりました。

P6173135.jpg
挿画を担当したドイツGestalten社の『The Fly Fisher - The Essence and Essentials of Fly Fishing』(2017年5月)


--独立に至ったきっかけは。

長嶋:京都水族館の仕事でした。内装デザインを担当しているデザイナーの方から依頼され、魚名板(水槽の脇に設置する解説板)に掲載する絵を任されたんです。初めてまとまった規模の仕事を得たことで、これは独立を考えてもいいのかもしれないなと感じました。

02_kyoto_aquarium.jpg
京都水族館の魚名板、エリアサイン、入館チケット・年間パスポート・館内マップのイラストを制作


たまたま同じタイミングで石垣島に住んでいる知人が海外出張で家を空けることになり、その間(2年間)住まないかと声を掛けてくれていたので、会社を辞めて移住しました。

06_work.jpg


--その後も石垣に住み続けているんですね。独立する際、迷いもあったのでは。

長嶋:広告会社の仕事は好きでやりがいを感じていたし、移住するとき籍を残してくれるという話もあったんですが、それでは甘えが出てしまうと思い、あえて退路を断つほうを選びました。

それ以前に、絵を仕事にしたいという夢にフタをして会社勤めを続けている自分を許せなくなった時期がありました。本当はやりがいを感じているはずなのに、周囲から"社畜"などという言葉が聞こえると自分もそうなんだろうかと考えてしまったりするのがつらかったですね。

ですがある時、友人に紹介してもらった魚の仲卸業の方にそういう迷いを打ち明けたら、「目の前にある仕事が何だろうと、まずはそれを一生懸命やれ」と言われて目が覚めました。

会社の仕事も魚の絵を描くことも好きなんだから両方本気でやってていいじゃないかと思えました。そうするといろいろなことが好転し始めて、独立につながったという感じです。

自然物の瞬間の姿には、環境や生き様のすべてが映し出されている


--意識の囚われから解放されたことで好転したんですね。石垣島について感じたことは。

長嶋:東京にいた頃は電車に乗るたびに車内の広告を見ては(レイアウトや文字の)もっとここをこうすると良くなるのにと、仕事柄そういうことばかり気になっていました。ところが石垣へ来てみると、自然物は何を見ても据わり良く感じることに気がつきました。

道端に伸び放題に茂っている植物が、枯れたり折れたりしているのすら据わりがいい。

03_ishigaki_mangrove.jpeg
ヒルギがびっしりと根を張る石垣島のマングローブ


人間が意図的にデザインしたものとは本質的に違う。

広告の仕事はターゲットや訴求ポイントに基づいてゴールを設定して進めていきますが、自然物は瞬間の光や風、水、栄養素といった要素によって決定されていて、無数の積み重ねの結果として現在の姿があるんです。

--人間が意図的にデザインするものの対局にあるわけですね。魚の造形にしても、自らの意思でそれぞれの姿になっているわけではないし。

長嶋:進化というのも同様で、たまたまその時の環境を生き延びるのに有利な特徴を持っていた個体が、他の個体より子孫を残す可能性が高くなる。その果てしない積み重ねの結果、今の姿があるに過ぎないんです。

魚を描くうえでもそのような自然物のあり方を表現したい。

無数の積み重ねの結果としてのみ今がある、そこに目を向けるのはその個体、その種、そこに連なる過去のすべての生命への畏敬にも結びつきます。すべての来し方を踏まえての"今どうあるか"を尊重し、捉えたいと思っています。

--Webサイトには「水の中での身のこなしと、目や鱗のきらめき。釣り上げられたときの筋肉の躍動や、喉を膨らませた威嚇の表情。鮮魚店の白熱灯の下での、舞台のスターみたいな華々しさ。その頃の感動を描いている」とも記されていますね。

Ellochelon_vaigiensis.jpg
オニボラ


長嶋
:子どもの頃から魚、昆虫、爬虫類など、生き物が好きだったんですが、魚を飼い始めたのがきっかけで特に魚に興味を持つようになりました。父が釣りに連れていってくれるようになり、生きている魚に触れることも増え、絵にしたいと思うようになりました。

「魚を専門に描こう」と執着しているわけではなく、単に描きたいものを描いていたら今の技法で魚ばかり描くようになったということです。他の生き物を描きたくなったら、それに合った描き方をまた少しずつ見つけていくことになるのだろうと思います。

視覚に頼るだけでは本質を捉えることはできない

--クライアントワークで苦労することは。

長嶋:クライアントがどのような絵を求めているのか。たとえば、どれくらいのリアルさが求められているのか、それに対して僕の絵の「リアルさ」の度合いがどの程度かといったことを、代理店やデザイン会社を含め、事前に共有しておかないと修正が多くなるということはあります。

また、僕は自分が魚を見て得た感覚を描きたいと思っているので、見たことのない魚を描くのは難しいです。資料さえあれば、極端に言えばトレースすればいくらでも精確に描くことはできるわけですが、そうやっても自分の絵にはならない。できる限り実際の魚を見て、触って、自分で掴んだ感覚を絵にしたいと思っています。

ただ見るだけではなく、釣ったりすくったりして感触を確かめたり、海の中でそっと忍び寄ったりといった自身の体験を伴うのが理想です。

--表面的な色や形を捉えるのではなく、命あるものの本質を捉えて表現したいという思いが土台にあって、それをご自身が好きな魚という生き物を通して実践しているわけですね。造形以外についてはどう捉えていますか? 作品を拝見していると、飛び跳ねるような躍動も感じます。

04_katakuchi.jpg カタクチイワシ


長嶋
:海で泳ぐ魚の姿や動きはもちろん、手に触れたときの質感もとても大事です。

青魚としてひと括りにされがちな魚も、鰯(いわし)はしなやかで動きが弱く、鯵(あじ)は機能性が高い。鯖(さば)は棒のように固くバタバタ動きます。

そうして質感を把握することは、一筆一筆をどう動かすかということにつながっています。

下描きの後、色を塗る段階では筆の動き(どのくらいのスピードで、そこで力を入れて、どこで抜くかなど)をコントロールすることに集中します。張り詰めた状態で紙に筆を下ろし、その後は少しでも何らかの考えや迷いが生じるとそれが筆致に表れてしまうので、無心という状態を意思の力で保ちつつ一筆を終える。瞬間の積み重ねが自然物の今を作っているのと同じように、ただ瞬間の積み重ねで筆を動かすように意識しています。

これには子どもの頃にやっていた書道の影響もあります。一発勝負で直すということができないからこそ、筆の運に緊張感を持たせられるんです。これは僕の絵のすごく大事なところで、僕の場合はデジタルではなし得ないかなと思っています。

--これから画業を目指す人に伝えたいことは。

長嶋:誰しも、子どもの頃から好きなものや大事なものがいろいろあると思います。

僕も無数にありますが、表現を生業とするに当たって、なかなかそれをうまく結びつけることができず、もどかしい思いをしてきました。

魚が好きで、大学時代に学んだ思想も大切で、表現のために選んだ服飾も自分の血肉になっていて・・・それらを結びつけられないまま、あっちこっち回り道もしてきましたが、試行錯誤を続けているうちに自然と一つになってきたんですね。

こうしてインタビューに答えていても、自分が大事にしてきたものは自然と言葉になるので、生き方としてきれいに一つになってきている実感があります。

皆さんも、好きなものや大事なものがアウトプットにきれいに組み合わせられず焦ってしまうようなことがあっても、何かをあきらめたり捨てたりしないで、大事なものは大事にし続けてほしいと思います。


*展覧会情報*

個展「bloom」

2022年7月16日(土)〜24日(日)

※19日(火)20日(水)休廊

営業時間11:00〜18:00

GALLERY & COFFEE STAND HATOBA

〒167-0042 東京都杉並区西荻北5-7-19

05_bloom.jpg


2022.07.01

デザインノート
アイデア
イラストノート