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土門拳

DOMON KEN

土門拳

1909年-1990年。山形県生まれ。写真家。

徹底したリアリズムにこだわった報道写真、著名人や庶民の人間性溢れるポートレイト、寺院や仏像などの伝統文化を独自の視点で切り取った写真で知られる。日本を代表する写真家であるとともに、「絶対非演出の絶対スナップ」といったリアリズム論を提唱するなど、当時の写真界を牽引した存在。また、写真界屈指の名文家でもある。

1916年、満6歳のときに、生まれ故郷の山形から東京へ転居。少年時代は画家を志していた。中学を卒業してさまざまな職を転々としているうちに、自身の才能に疑問を抱くようになり、画家になることを諦める。24歳で宮内幸太郎写真場の内弟子になり、報道写真家を志す。その2年後には対外宣伝雑誌『NIPPON』を中心に、日本を海外に紹介するパンフレット写真の撮影を開始。29歳でアメリカの『ライフ』に写真が掲載され、翌1939年には外務省の外郭団体「国際文化振興会」の嘱託となる。また同年に初めて奈良・室生寺を撮影し、以後これがライフワークとなる。その後も戦中から戦後にかけて、新橋演舞場での文楽の撮影、人物、子供や街の風景、京都や奈良の古寺撮影などを積極的に行う。1950年には、アルス「カメラ」の月例写真審査員になり、アマチュア写真の指導を開始。1957年に初めて広島を訪れ、翌年に写真集『ヒロシマ』(研光社)を刊行して大きな話題となる。1959年に閉山した北九州筑豊の炭田地帯を取材し、炭鉱労働者の生活を記録した『筑豊のこどもたち』が写真集としては異例のベストセラーとなる。1968年に山口県萩市で取材中に脳卒中で倒れ、以後車椅子で撮影することに。1972年には《ヒロシマ》がニューヨーク近代美術館のコレクションに収蔵される。1979年に脳血栓で倒れ、意識不明の状態が続き、1990年に心不全のため死去。

主な写真集に『風貌』(アルス、1953年)、『室生寺』(美術出版社、1954年)、『ヒロシマ』(研光社、1958年)、『筑豊のこどもたち』(パトリア書店、1960年)、『古寺巡礼』全5集(美術出版社、1963-75年)。主な受賞に第10回芸術選奨受賞(1960年)、東ベルリン・国際報道写真展金賞(1960年)、第19回菊池寛賞(1971年)、紫綬褒章(1973年)、勲四等旭日小綬章(1980年)などがある。



2020.04.01

土門拳
土門拳

1909年-1990年。山形県生まれ。写真家。報道写真やポートレイト写真、寺院や仏像などの芸術文化を独自の視点で切り取った写真で知られる。日本を代表する写真家であるとともに、「絶対非演出の絶対スナップ」といったリアリズム論を提唱するなど、当時の写真界を牽引した存在。また、写真界屈指の名文家でもある。主な写真集に、『風貌』(アルス、1953年)、『ヒロシマ』(研光社、1958年)、『筑豊のこどもたち』(パトリア書店、1960年)、『古寺巡礼』全5集(美術出版社、1963-75年)。主な受賞に東ベルリン・国際報道写真展金賞(1960年)、第19回菊池寛賞(1971年)、紫綬褒章(1973年)、勲四等旭日小綬章(1980年)などがある。

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