本個展では、杉本の長年のテーマである時間と歴史を20世紀のモダン・マスターズの作品群によって探求している「Past Presence」シリーズを展示する。ジャコメッティ、ブランクーシ、ピカソ、マグリットなど、それぞれの作品を写した写真は彼の「建築」シリーズと同様に、無限の二倍の焦点(twice as infinity)で撮影。意図的にぼかされた写真はアーティストの理想的なフォルムや、脳内で発想されたイメージそのままの姿を浮かび上がらせ、私たちはそのなかに無意識のうちに馴染みのあるかたちを見出そうとしている。
杉本の表現はこのように私たちの視覚的記憶を呼び起こし、イメージとはどのように記憶されているのか----イメージは正確な記憶として想起されるのか----杉本は見る者に作品を取り巻くディテールを取り除き、作品本来の概念や本質を顧みるよう投げかける。
Past Presence
2013 年、MoMA からの彫刻庭園撮影のコミッションが来た。フィリップ・ジョンソンの設計になるこの彫刻庭園には、モダニズム彫刻の名作が並べられている。私は「建築」シリーズのコンセプトに準規して彫刻庭園の撮影に臨む事にした。数ある名彫刻の中で、まず私の眼を引いたのはジャコメッティの彫刻だった。その研ぎすまされたフォルムは、人間の肉体から肉の部分を削ぎ落して、さらに残るもののみを、極限の状態で表すことに成功しているように思われた。私は私の写真によるアプローチが、すでにジャコメッティの彫刻においては成就されているのではないのかと、思わざるを得なかった。私はこのジャコメ ッティの彫刻に二度カメラを向けてみた。昼日中の白日の時、そして夕暮れ時の薄明の時。私は能舞台上に現われる、二人の人物像を思った。能舞台では死者の魂が復活して現われる様を描く。前シテと呼ばれる前半では、土地の者が死者の変わり身となって、死に至った無念の情を述べる。そして後シテの後半では、その死者の亡霊が再び現われ、成仏できずにいる苦渋の舞を舞う、という設定だ。演劇のうちに死者の姿を垣間みる、そのリアリティーがどれほどのものであるかは、演技の迫真力とともに、鑑賞者の心眼の力量にも負う所が多い。私はジャコメッティを写しながら、能舞台を見る心持ちがした。能舞台では過去が今として(Past Presence)として蘇るからだ。私はこのジャコメッティからの啓示を得て、次々に他の作品群にも挑んでいった。
杉本博司
2020.03.23