プロフェッショナルなクリエイターを育成する大人のためのデザイン専門校「東京デザインプレックス研究所(TDP)」。習得したスキルを社会に還元すべく産学協同を積極的に実施するなか、医療にデザインを取り入れた新しい試みとして注目されているのが、横浜市立大学先端医学研究センターCDCと行う「広告医学プロジェクト」だ。その取り組みを紹介しよう。
新しい学問領域「広告医学」とは?
今や病気は日々の生活を改善して予防する時代。しかし医師から食生活の見直しや適度な運動をするよう指導を受けても、「予防の重要性がよく理解できない」「どうやって実践したらいいのかわからない」という人は少なくない。
そこで患者側の視点に立ち、専門的でわかりにくい医療情報を、心に響くコピーやデザインを用いた広告のアプローチでわかりやすく伝え、自発的な健康行動へと促していこうという考え方が「広告医学」だ。提唱者は、iPS細胞を用いた再生医療の研究で知られる、横浜市立大学の武部貴則特別教授。この考えに賛同した東京デザインプレックス研究所が武部教授に授業をオファーし、広告医学に関する講義やワークショップが行われたことをきっかけに、両者協同の広告医学プロジェクトがスタートした。
院内で過ごす時間を変える「こころまちプロジェクト」
横浜市立大学(YCU)では、世界で初めて先端医科学センター内にクリエイティブの研究拠点「コミュニケーション・デザイン・センター(CDC)」を設立。ここでプランニングやデザイン業務をしているのが、東京デザインプレックス研究所(以下TDP)卒業生でもある小髙明日香さんと中沢大さんだ。
(左)小高明日香さん (右)中沢大さん
小髙さんは学生時代に農学を専攻。卒業後は研究職に就き、論文の内容をわかりやすく伝えるため、レイアウトやインフォグラフィックなどのビジュアル表現に興味を持ったことがTDPで学ぶきっかけになった。一方の中沢さんはアメリカの大学で経済学を専攻していたが、「デザインもできたほうが自分のキャパシティが広がる」と、ギャップイヤーを利用してTDPへ。共に専門分野以外にデザインにも精通しているというスキルを活かし、医療とデザインの橋渡し役としてCDCが立ち上げた数々のプロジェクトに携わってきた。
そのうちの1つが、3年前からTDPの学生と取り組んでいる「こころまちプロジェクト」だ。病院での待ち時間は長く退屈なだけでなく、体の不調や不安を抱えている人にとって、殺風景で無機質な空間はリラックスできる快適な場とは言い難い。患者やその家族が待ち時間を少しでも温かくすごしてもらえれば、という思いを、「こころまち時間」というコピー・コンセプトで表現した。
第1弾は5人のチームで、2017年12月に、横浜市立大学附属病院の1階休憩室と2階ロビーを対象に実施された。患者や職員が軽食を取れる休憩室を、森をイメージしたリラックス空間へとリデザインした「こころまちラウンジ」。ロビーの椅子の背に視力回復トレーニングや脳トレ、カラーセラピーなどの要素を取り入れたアート写真を設置し、待ち時間を楽しく健康的に過ごせる「こころまちぇあ」。折り紙にもなり、折るとメッセージが現れる院内マップ「こころまちマップ」。大きなクリスマスツリーをデコレーションする参加型のインクルーシブアート「こころまちツリー」は、患者やその家族の願いや思いのこもったメッセージ入りのステッカーで埋め尽くされ、クリスマスムードを盛り上げる賑やかなツリーが完成した。
続く第2弾は8人が参加。院内を「こころ街」になぞらえ、クリスマスのストーリーに沿ってさまざまなコンテンツを配置し、大人も子供も楽しめる仕掛けに工夫を凝らした。
こうした取り組みは徐々に院外からも注目されるようになり、現在進行中の第3弾では横浜市内の別の病院からオファーを受け、手術中の患者を待つ家族のための待合室の内装を手がける。
病院での長く退屈な待ち時間を「こころ待ちの時間」に変えるプロジェクト。
癒しをもたらす、コミュニケーションを生む、健康に役立つなどをキーワードに、患者の立場になって発想したアイデアが随所に盛り込まれている。
革新的な人材育成プログラム
「Street Medical School」
TDPとYCU-CDCの協同プロジェクトはこれだけに留まらず、医療にまつわる課題をクリエイティブで解決できる人材を育成する新しい教育プログラム「Street Medical School」も開始。「ストリートメディカル」とは、YCU-CDCが考えるこれからの医療を示す名称だ。
本を読んで勉強して賢い人はブックスマート、現場での経験から学んで賢い人はストリートスマート。この100年でいわゆる慢性疾患の死因別死亡率が大きく増加している中で、これまで医学や医療を支えてきたブックスマート的な知見に加えて、実生活の場での実践から得られるストリートスマート的な知見も取り入れていく必要がある。そのために、医師をはじめとする医療従事者と、デザイナーをはじめとする様々な業界の方とが、共に学び合う場として、このStreet Medical Schoolがある。
プログラムの受講生は、TDP在学生・修了生選抜者、YCU─CDC選抜者(医師、医学生、看護師、看護学生、作業療法士など)。講師にはデザインや広告、医療など各分野のトップを迎え、さまざまな手法で潜在的な課題を発見し解決する力を養う。
受講生は、卒業制作としてストリートメディカルな企画の発表をした。香りで神経疾患啓発や健康意識向上を促すチョコ、AMR(薬剤耐性)対策のためのボードゲーム、学校での近視の早期発見を促すポスター、病院での「多様なすごす」をデザインするホスピタリティ空間・家具などの発表があり、一般来場者からも大きな反響を得られた。
「ゆくゆくはいろいろなところでこうした取り組みが増えてほしい」と語る小髙さんと中沢さん。今後もTDPとの協同プロジェクトは継続予定であり、地域や医療現場への広い波及が期待される。
Street Medical Talks / Street Medical School 受講生による、企画発表の様子。
従来手法に囚われず、デザインやアートなどを広く取り入れた新しい医療・医学に関するアイデアピッチが行われた。
オープニングでは、「広告医学」という新しい学問領域を普及させている武部貴則氏のレクチャーも行われた。
病院内ホスピタリティ空間・家具のプロトタイプ展示。
病院での様々な「待つ」をデザインする。
2020/03/26
文・構成=杉瀬由希、デザインノート編集部