インタビュー・文:森﨑雅世
現代を生きる女性たちの切実なリアルを独特の表現で切り取っていくマンガ作家であり、筑波大学の准教授としても活躍されている山本美希さん。『かしこくて勇気ある子ども』(2020年、リイド社)は2021年に第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞するなど日本でも高い評価を得ているとともに、『Sunny Sunny Ann!』(2014年、講談社)のフランス語版は2019年にフランスのアングレーム国際漫画祭の公式セレクションやカナダの漫画祭モントリオール・コミック・アート・フェスティバルの外国作家部門に選出されるなど海外でも注目されています。
海外アーティストとの交流、海外の作品からの影響、マンガと絵本との境界、大学教員としての活動など、そのアイデアの源泉をお聞きしました。
[Profile]
山本美希
マンガ作家、筑波大学芸術系准教授。
2013年、『Sunny Sunny Ann!』(2012年、講談社)が第17回手塚治虫文化賞新生賞を受賞。2015年、『ハウアーユー?』(2014年、祥伝社)が第19回文化庁メディア芸術祭審査員会推薦作品に選出。2021年、『かしこくて勇気ある子ども』(2020年、リイド社)が第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。共著に絵本『ねえねえ あーそぼ』(2019年、メディア・パル)などもある。
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『爆弾にリボン』に影響を与えたイタリアの作品
--前編で海外のアーティストさんから刺激を受けたというお話をお伺いしたのですが、具体的に影響を受けた海外のマンガやマンガ家はいらっしゃいますか。
山本:「海外の作品ということなら『小さなロシア』(リトル・モア)でしょうか。これはマンガではないという方もいらっしゃるかもしれないですし、作者のジャンルイジ・トッカフォンドさんもアニメーション作家なのですが。この作品ももともとアニメーションだったのを本の形としてまとめられていて、たぶん日本でしか発売されていないものです。
--この作品のどういったところに惹かれましたか。
まずこの作品には文字がなく、絵を見てストーリーを追うタイプの作品なので、言語の壁を感じることなく楽しめたというのは大きいポイントでした。ストーリーは殺人も起きたりする暗い内容で、人生に疲れた人物の抱える重たい雰囲気と、それを表現したモノクロームの絵のタッチがぴったりで、まずはそこに目を奪われました。絵だけの作品ですが、これは大人向けで、主人公の男性の人生を重い現実と幻想を行き来しながら辿るストーリーです。
横長の判型も珍しかったですし、コマを使うページがあれば使わないページもあるといった構成も面白くて。大きい判型でたくさんコマを入れるのか、小さい判型でコマを少なめにするのか、などで物語の見え方も大きく変わりますし、独特の構成の持つ味わいがすごく印象に残りました。絵を丁寧に見ていくと、読み応えのある複雑な物語が浮かび上がることにもすごく驚かされて惚れ込みました。それで自分でも試してみたいと思ったのが『爆弾にリボン』です。
--写真を加工して描かれたような絵の雰囲気にも影響を感じますね。
山本:人の内面の葛藤を絵で描き出す、ということをやりたいと思っていた時に読んだので、この作品のやり方にはすごく影響を受けたと思います。
あと、海外のアーティストからの影響というとどうしても絵本になってしまうのですが、レイモンド・ブリッグズが好きですね。『ゆきだるま』(1978年、評論社)は文字のない絵本としてみんなが知っている名作ですが、絵だけでこんなにワクワクする冒険を表現できるんだと。
それからガブリエル・バンサン(ベルギーの絵本作家)です。この方も言葉のない絵本をたくさん作っておられて、代表作の『アンジュール―ある犬の物語』(1986年、ブックローン出版)が有名です。さまよう犬の姿を淡々と描いた絵本で、人間の言葉で意味づけしない、説明しない、という作者自身が自分に課した厳しい哲学があると思いました。ただ文字を使わないのではなくて、そこにも色々な理由が想像できて、ずっと大好きな作家です。こうした作品から色々学んだことを混ぜながら自分のスタイルができていったように思います。
絵本とマンガはつながっている
--いま影響を受けた作品として絵本も挙げていただきました。山本先生はご自身でも絵本を描いていらっしゃいますが、絵本とマンガの違いについてどのようにお考えですか。いわゆるマンガというとコマ割りや吹き出しがあるものをイメージしますが、レイモンド・ブリッグズは日本では絵本にカテゴライズされていたりもします。
山本:その線引きは難しいですよね。書店の棚の置き場が違うとか、マンガ雑誌に掲載されたものが「マンガ」といった線の引き方があると思いますが、表現の視点からみれば境界をはっきりさせることはできないように思います。絵本とされているものの中にも、昔から、コマ割り表現やフキダシが使われているものは実はたくさんあります。
--ショーン・タンの『アライバル』(2011年、河出書房新社)も日本の書店では絵本の棚に置かれていますが、コマがあって、セリフはないので吹き出しはないですけど、これはもうマンガですよね。
山本:『アライバル』はマンガの賞も受賞しているし、絵本の賞ももらっている。どちらの文脈でも評価されていますよね。例えばデイヴィッド・ウィーズナーの『漂流物』(2007年、BL出版)、これは絵本ですが、中は多くのページにコマが使われています。日本の作家でも、例えば武田美穂さんの絵本にはコマ割りがよく使われています。こうした作品は挙げていったらキリがないくらいにたくさんあります。杉田比呂美さんの『街のいちにち』(1993年、ブロンズ新社)は、画面にコマが配置されているのですが、いわゆるマンガみたいにコマを順番に読んでいくわけではありません。絵本を見ていると、「マンガのコマ」のルールに従わないというか、「こういうコマの使い方ができるのか!」という新たな可能性に気づかされることもあるんです。
--読者の年齢で区切ることもできませんものね。
山本:マンガも昔は子ども向けのものでしたが、いまはもう幅広い年齢が対象になっていますよね。絵本はマンガに比べてより小さな子どもを読者として想定していることが多いですが、幅広い年齢層に向けたものや、大人が読んでも面白いものもたくさんあります。
私としては、絵による物語というのは絵本とマンガに限らないとも思っていて、どの作品も「絵による物語表現」の無限のグラデーションのひとつと捉えているんです。せめて、「マンガか絵本か」といった括り方よりは、分布図のように考えるのがいいんじゃないかと思っています。分布図のこの辺りが絵本で、この辺りはマンガで、その周辺に点が集まっているといったみたいに。マンガ雑誌に掲載されているとか、コマ数が多いなどいくつかの条件が揃う場合は段々マンガに近づいていって、見開きを中心とした構成が多い場合や、対象年齢、ハードカバーでページ数が少なめ、サイズが大きいなどの条件が揃ってくると絵本に近づいていく、みたいな捉え方をしたいなと。
--その考え方は面白いですね。確かに、マンガ〇%/絵本〇%といった作品が世の中にはたくさんあるように思います。
山本:『爆弾にリボン』は、内容としては日本の少女マンガや女性マンガ家さんたちの描かれてきたテーマを意識した部分が大きかったのですが、表現としてはマンガと言い切れるかというと微妙なところです。持ち込みをしても、マンガ関係の方に見てもらうと「これはちょっとマンガじゃないね」と言われ、絵本のほうに持っていくと「これは絵本じゃないよね」といった反応でした。一番最初の作品で、その中間をウロウロ彷徨うことになり、このカテゴライズの問題には苦労しました。
--マンガの代わりに"グラフィック・ノベル"という言葉も使われるようになりました。この言葉は、例えば『わたしはフリーダ・カーロ』(2020年、花伝社)のように、いわゆるコマや吹き出しのない、絵と文章で展開していく作品も含んだもっと大きな括りで使われています。
山本:私は絵で物語が表現されている作品が好きなので、絵本でもマンガでも絵物語でもなんでも好きで。「マンガ/絵本はこういうもの」「コマがないと」といった考えはないですし、逆にいかにも型通りのスタイルの作品にはあまり関心がないかもしれません。海外の作品が面白いなと思うのは、絵と言葉のバランスで変わったことをしていたり、「こういうの見たことないな」と思えるようなチャレンジや実験をしていたり、そういう意欲的な表現をしている作品に出会えた時ですね。
--その中でも特に注目しているのがサイレントなマンガなのでしょうか。
山本:そうですね。絵を読み解けばストーリーがわかるので、心置きなく楽しめます。文字をなんとか訳しながら読むこともあるのですが、本来の機微を味わえていないような気がしてしまうことがあって...。自分がセリフを書くとき、漢字、カタカナ、かな、語尾、語順、とか色々考えているのに、自分の翻訳力でどこまで読み取れているんだろうと思うと申し訳ないというか。というのもあって、文字のない作品を選んでいるという事情もありますね。絵ですべてを表すことを求められるので、細かい点までこだわった表現をしている作品が多いのも面白いです。研究テーマでもあるので、ずっと読んでいきたいと思っています。
最近読んだ海外マンガ
--最近読まれた中で面白かった作品はありますか。
山本:少し前に邦訳が出たク・ジョンインの『秘密を語る時間』がとても良かったです。作中で主人公の女の子が母親から「無事に育ってよかった」と言われるシーンがあるのですが、ぜんぜん無事じゃなかったのに、と自分の経験なども照らしながら深く考えさせられました。産婦人科の女性の先生や、病院に付き添ってくれる友達など、主人公に力や知恵を貸してくれる周囲の女性たちの姿は、本当に理想の関わり方だと思います。一方で、全てが女性たちの相互の助け合いでなんとか補われ片付いたことになり、結局「無事だった」かのように見えてしまう。本来女性たちがする必要もないことに時間や労力を割かされているのだと、この本で改めて感じさせられました。
--『秘密を語る時間』は素晴らしい作品ですね。私は『かしこくて勇気ある子ども』の中で夫婦が子どものときに怪我した傷痕を辿っていくシーンがすごく好きなのですが、『秘密を語る時間』はまさにまだ癒えない傷を傷痕にしていく過程を描いた作品だなと感じました。
--ほかに面白かった作品はありますか。
山本:スペイン語圏の洋書を扱われているミランフ洋書店さんで見つけたもので、サンドロ・バッシの『La Nacionalien』(2020年、Libros del zorro rojo)という作品です。文字のない絵本なのですが、鉛筆一本ですべて描かれていて、絵の作り方に目をひかれました。舞台は地下鉄の中で、車内の様子や人々の服装は見慣れたものですが、登場人物はみんな頭が不思議な形をしていて怪物のように描かれています。その人物たちはみんな片時もスマホから目を離さなくて、ベビーカーを押す人物もスマホの画面に夢中なんです。現代社会への批判的なメッセージを含んだ大人向けの作品で、社会のいびつなところを見つめる鋭い視点が新鮮でした。
--ふだん海外マンガの情報はどうやって入手されているんですか。
山本:絵本やマンガの洋書を取り扱っている書店でたまにホームページを覗きに行くところがいくつかあって、そういったところで教えてもらっています。
大学での授業から受ける刺激
--山本先生は大学教員というもう一つの顔をお持ちですが、学生への授業で面白いことをされていると聞きました。
山本:わたしはグラフィックデザインの領域を担当していて、マンガ家や絵本作家を目指す学生だけが授業を受けに来るわけではないので、あまりマンガの技術的なことは指導していないんです。わたしもつけペンを使わずサインペンで描いたり色鉛筆で描いたりしていて、どんな技法で描くのも自由だと思っています。ある情報をわかりやすく視覚的に伝えるものがグラフィックデザインだとすると、その情報が物語の場合にはマンガや絵本という形になります。伝えたい物語を的確に表現するための考え方や画面構成法を身につけてもらうための授業を考えて、日々、試行錯誤しています。
そのひとつで、参考にしているのが、アメリカのマンガ家でありマンガを教える仕事もしているマット・マドンが刊行した『コミック文体練習』(2006年、国書刊行会)という本です。1つのエピソードから99パターンのコミックを描くというもので、思いつく限りのアイディアを駆使して99通りのマンガが生み出されています。
それを参考にしながら、授業ではみんなに課題となる文章を渡して、そのエピソードをもとに学生それぞれに2パターンのマンガを描いてもらうということをやっています。アメコミ風、少女マンガ風、新聞4コマ風といったもの、音に着目して擬音を強調するものもあれば、1つの画面に全ての出来事を凝縮したり、人物ではなく飼い猫の視点から描いたり。同じエピソードでも、何を伝えたいか、どこに注目するか、どうやって伝えたら面白いか、と考えていくと、無数のバリエーションができます。
--学生の数だけ色んな表現が出てくるということですね。
山本:エジプト壁画風、漢字ドリル風とか、びっくりするようなアイデアが出てきて、こちらもいい刺激を受けます。日本のマンガのいわゆる"ひな型"だけでなく、それ以外にも表現にはもっと広い可能性があるということに気づいてもらえたらと思っています。それがいちばん難しいところで、面白いところでもあります。他にも少しずつ狙いの違う課題を出して、取り組んでもらうという形でいまは授業をしています。
--今後、挑戦したいことや描いてみたいテーマはありますか。
山本:今は絵本を形にするべく格闘しているところです。。描きたいテーマは日常生活の出来事の中からアイデアを得ていますので、少しずつ形にしていきたいと思います。機会があれば、コロナ禍はまた改めて取り組んでみたいです。
--本日はありがとうございました。
2022.04.21