ニコラ・ド・クレシー『天空のビバンドム』

ニコラ・ド・クレシー『天空のビバンドム』
持っている画材をすべて使ったイマジネーションのおもちゃ箱

ライター:森﨑雅世

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写真:『天空のビバンドム』/作:ニコラ・ド・クレシー Art Direction&Design::佐々木弥生 3巻カラーリング協力:ワルテール・ユカ 翻訳:原正人 編集:フレデリック・トゥルモンド、天野昌直/発行所:Euromanga合同会社 発売所:株式会社飛鳥新社

フランスの鬼才マンガ家ニコラ・ド・クレシーの代表作


今回は知る人ぞ知るフランスの鬼才、ニコラ・ド・クレシーの代表作『天空のビバンドム』(飛鳥新社、2010年)を紹介します。

もしかしたら、作者ニコラ・ド・クレシーをすでにご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

松本大洋とのコラボレーション画集『松本大洋+ニコラ・ド・クレシー 日本とフランスを結ぶ二人のマンガ家によるイラスト集』(玄光社、2014年)が刊行されていたり、ウルトラジャンプで『プロレス狂想曲』(単行本は集英社、2015年)が連載されていたり、2021年にリバイバル上映されたアニメ映画「ベルヴィル・ランデヴー」の監督シルヴァン・ショメの短編映画「老婦人とハト」に美術担当として参加していたり。(シルヴァン・ショメとの共作マンガ『レオン・ラ・カム』(エンターブレイン、2012年)の邦訳も出ています)

さまざまな方面で活躍されており、日本でも頻繁に紹介されたアーティストです。

マンガ作品もフランスのマンガ家の中では比較的たくさん翻訳されています。『氷河期』(小学館集英社プロダクション、2010年)、『サルヴァトール』(小学館集英社プロダクション、2012年)、『フォリガット』(パイインターナショナル、2013年)といった作品を日本語で読むことができます。

そんなニコラ・ド・クレシーのデビュー作『フォリガット』に続く二作目にして代表作が今回ご紹介する『天空のビバンドム』です。

これがとりあえず「スゴイ」作品なんです!

「スゴイ」その1:個性豊かでイマジネーションが爆発するキャラクターたち


物語は、陰鬱なる空が重くのしかかる廃墟から始まります。

リードにつながれた犬たちが庭で寝そべってはいるものの、人が住んでいる気配のない荒れ果てた廃屋。そこに登場するのがこの物語の「語り手」であるロンバックス教授なのですが、その造形がまずスゴイ。

目にも鮮やかな真っ赤な帽子をかぶり、白い饅頭のようなもちもちとしたほっぺたを持つ頭だけの人物。

不幸なる事故で首から下を失った彼ですが、帽子と同じく真っ赤な唇をにんまりとほころばせるその表情は、ただならぬ雰囲気を漂わせています。

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写真:『天空のビバンドム』/作:ニコラ・ド・クレシー Art Direction&Design::佐々木弥生 3巻カラーリング協力:ワルテール・ユカ 翻訳:原正人 編集:フレデリック・トゥルモンド、天野昌直/発行所:Euromanga合同会社 発売所:株式会社飛鳥新社

ロンバックス教授が自信満々で語り始める物語の主人公も驚きです。

架空のニューヨーク(ニューヨーク=シュル=ロワール)に到着したばかりの若いアザラシ、ディエゴ。

アザラシは鰭脚目に属する哺乳類。同じ鰭脚目でも四肢歩行ができるアシカと違って、後脚を前方に曲げることができないので、両手で松葉杖をついて歩きます(後脚はまとめて1足の靴におさめられています)。

ニコラ・ド・クレシーが描く動物キャラクターは、どの作品でもキュートさと不気味さを兼ね備えていて目を惹きますが、ディエゴはその中でもダントツの奇抜さです。

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写真:『天空のビバンドム』/作:ニコラ・ド・クレシー Art Direction&Design::佐々木弥生 3巻カラーリング協力:ワルテール・ユカ 翻訳:原正人 編集:フレデリック・トゥルモンド、天野昌直/発行所:Euromanga合同会社 発売所:株式会社飛鳥新社

新天地にたどり着いたばかりのディエゴは、「お前は選ばれしものだ」と声をかけられます。なんと100年に一度の大イベント「愛のノーベル賞」の優勝候補に選ばれたというのです。そしてディエゴを優勝させるために、教育者たちは彼に「知性」をほどこしていきます。

そんな教育者たちを背後で牛耳る影の権力者が「校長」なる人物です。

校長は、ニューヨークの「市長」も兼ねていますが、実は有権者である「ヘモ=サピエンス=グロビン」という小さな市民の集合体であることが後ほど判明します。

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写真:『天空のビバンドム』/作:ニコラ・ド・クレシー Art Direction&Design::佐々木弥生 3巻カラーリング協力:ワルテール・ユカ 翻訳:原正人 編集:フレデリック・トゥルモンド、天野昌直/発行所:Euromanga合同会社 発売所:株式会社飛鳥新社

たしかに支持する有権者がいてこその市長ですが、それを造形に落とし込むグロテスクさに息を吞んでしまいます。

「スゴイ」その2:持っているすべての画材を使った衝撃のアート


数ページ見るだけでわかりますが、『天空のビバンドム』ではページごとに異なる画材が用いられており、アートもこの作品の見どころのひとつです。

作者の二コラ・ド・クレシーはインタビューで「グラフィックの実験室にしたいと思っていました」と語ります。

彩色をするにあたり、水彩、カラーインク、アクリル、ガッシュ、クレパス(オイル・パステル)と自宅にあるすべての画材を使い、コラージュ技法も用いられています。

オリジナルで全3巻の『天空のビバンドム』(日本版では1冊に合冊)ですが、1、2巻で自分が持っている画材をすべて使い果たしてしまった彼は、3巻のカラーリングを別のアーティストに依頼して、他の巻との統一感を出すためにデジタル着色を施すという挑戦もしています。

ページ、コマごとの空間的、時間的な場面転換や、登場人物たちの心情などを画材や技法を変えることによって表現していくというのは、フルカラーのマンガならではの面白さと言えます。

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写真:『天空のビバンドム』/作:ニコラ・ド・クレシー Art Direction&Design::佐々木弥生 3巻カラーリング協力:ワルテール・ユカ 翻訳:原正人 編集:フレデリック・トゥルモンド、天野昌直/発行所:Euromanga合同会社 発売所:株式会社飛鳥新社

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写真:『天空のビバンドム』/作:ニコラ・ド・クレシー Art Direction&Design::佐々木弥生 3巻カラーリング協力:ワルテール・ユカ 翻訳:原正人 編集:フレデリック・トゥルモンド、天野昌直/発行所:Euromanga合同会社 発売所:株式会社飛鳥新社

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写真:『天空のビバンドム』/作:ニコラ・ド・クレシー Art Direction&Design::佐々木弥生 3巻カラーリング協力:ワルテール・ユカ 翻訳:原正人 編集:フレデリック・トゥルモンド、天野昌直/発行所:Euromanga合同会社 発売所:株式会社飛鳥新社

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写真:『天空のビバンドム』/作:ニコラ・ド・クレシー Art Direction&Design::佐々木弥生 3巻カラーリング協力:ワルテール・ユカ 翻訳:原正人 編集:フレデリック・トゥルモンド、天野昌直/発行所:Euromanga合同会社 発売所:株式会社飛鳥新社

なお登場人物たちの奇抜なキャラクター造形については先述しましたが、ニコラ・ド・クレシーが描く都市や建物群も見ものです。 彼のドローイング中の映像を見たことがありますが、フリーハンドかつ下書きもなくペンの先から天を突くようなビル群が生み出されていくさまは見ていて圧巻です。

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写真:『天空のビバンドム』/作:ニコラ・ド・クレシー Art Direction&Design::佐々木弥生 3巻カラーリング協力:ワルテール・ユカ 翻訳:原正人 編集:フレデリック・トゥルモンド、天野昌直/発行所:Euromanga合同会社 発売所:株式会社飛鳥新社

「スゴイ」その3:難解。だけど読めば読むほど深遠なるストーリー


『天空のビバンドム』はただただその衝撃的なビジュアルに圧倒されてしまいますが、読めば読むほどこのストーリーの深遠さにも驚かされます。

「愛のノーベル賞」をディエゴに優勝させてなにがしかの利益を得ようとする校長=市長と、それを阻止しようとする「悪魔」との権力闘争。

ロンバックス教授という「信頼できない語り手」と、彼に物語を語ることを依頼した「雇い主」の存在と思惑。

ニューヨーク=シュル=ロワールという都市の歴史の背後にある、人間がやってくる以前に住んでいた動物たちと人間との対立。

物語はモザイク模様のように複雑に絡み合い、決して解りやすい作品ではありません。

しかしその根底に流れているのは、この世界で最も権力を持つ「物語を語る」ことを巡る登場人物たちの抗争。

人間、悪魔、動物たちは、自分たちに都合の良い「物語」を紡ぐための主導権争いに躍起になっていきます。

『天空のビバンドム』はあくまでファンタジー作品で、制作されたのもいまから約30年前にもなる1994年です。しかし、事実はどうあれSNSなどによって誰かにとって都合の良い陰謀論などが瞬くうちに拡散される現代。この作品で描かれる登場人物たちの滑稽でシニカルな闘争劇は、いま読んでも十分に新鮮な視点を与えてくれます。



2022.08.01

 
               
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