ダヴィッド・プリュドム『レベティコ―雑草の歌』

ダヴィッド・プリュドム『レベティコ―雑草の歌』
ギリシャの光と影、そしてならず者の音楽家たちの息遣い

ライター:森﨑雅世

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写真:『レベティコ―雑草の歌』/ダヴィッド・プリュドム 著/原 正人 訳/株式会社サウザンブックス社

イケオジと音楽と、人生の哀愁

錆朱色――表紙をみて頭に浮かんだのはそんな名前の色。目をつぶり歯を食いしばる男の横顔のアップ。力を込めた拳の中で砕け散らんばかりのグラスを額にぶち当てる。数瞬後にはそこから鮮血が噴き出し、血液に含まれる鉄分は空気に触れて錆臭い匂いをあたりにまき散らすだろう。男の横顔は、額の割れる痛みを堪えるように、もしくはまだ物語を読まぬものには与り知らぬさらなる痛みに耐えるように歪む。......果たしてこの作品は私たちに何を物語ってくれるのだろうか、期待と少しの畏れを抱かせながら、ページを開くことも忘れてしばし見惚れてしまう。

コミカルでシュールな作風のフランス人漫画家

『レベティコ―雑草の歌』は、2009年に出版されたバンド・デシネ(フランス語圏のマンガ)。すでに数カ国で翻訳されていますが、どれも表紙デザインが異なります。作中の一コマが使用されているのですが、どれをセレクションしているのかを見るだけで、その国のお国柄が感じられるようです。日本語版は金子歩未さんというデザイナーが手掛けられておられ、よくぞこのコマをピックアップしたと驚いてしまうほど小さなコマ(笑)。ぜひ実際に探してみてください。

作者のダヴィッド・プリュドムは1969年フランス生まれ。

日本語に翻訳されている作品としては、フランスと日本のアーティストによるアンソロジー『JAPON』(飛鳥新社)の中で『おとぎの国』という短編を寄せています。プリュドムさんと思しき登場人物が座敷に上がって食事をしていると、その間に脱いだ靴たちが旅をする、という浦島太郎をベースにした物語。なんとも奇天烈です。

翻訳はされていませんが、2016年に開催されたルーヴル美術館特別展「ルーヴルNo.9 ~漫画、9番目の芸術~」でも『ルーヴル横断(La Traversée du Louvre)』という作品を描いています。ルーヴル美術館の展示品とそれを鑑賞する人々の様子がコミカルかつシュールに描かれていて、プリュドムさんの観察眼と想像力に思わず唸ってしまいます。

そんなプリュドムさんが1936年のギリシャを舞台に描いた作品が『レベティコ―雑草の歌』です。

はみ出し者たちの音楽「レベティコ」

レベティコは音楽のジャンルのひとつです。ギリシャのブルースと言われています。

悲哀や孤独をテーマとするブルースが生まれた背景にアメリカでの黒人差別の歴史があるように、レベティコの誕生にも当時の歴史が関係します。1922年、ギリシャはトルコとの戦争に敗北し、トルコに住んでいた約100万人ものギリシャ正教徒がギリシャに流れ込みます。彼らの多くはまともな職に就くこともできず、ならず者のような生活をしては夜は酒場に集まり奏でた音楽、それがレベティコの始まりです。

『レベティコ―雑草の歌』は、そんなレベティコの音楽家たちの一日を描いた作品です。

作品に潜むコントラストの美しさ

この作品を開いてまず印象的なのが、光と影。

ギリシャの乾いた空気が感じられるような昼下がりの木漏れ日。薄闇が忍び寄るけだるい夕刻。漆黒の夜の酒場にうごめく人影。明けゆく夜のグラデーション。徹夜明けの脳天を突き刺す白い朝......。刻一刻と姿を変える色彩を堪能できるのは、大判フルカラーの海外マンガならではの楽しみです。

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写真:『レベティコ―雑草の歌』/ダヴィッド・プリュドム 著/原 正人 訳/株式会社サウザンブックス社

そして、ギリシャの強い太陽光と対比するような濃い影は、登場人物たちの顔にも容赦なく覆いかぶさります。まるで彼らの陽気さとは裏腹の現実を突き付けるかのように......。

『レベティコ―雑草の歌』は、その出版方法も変わっていました。サウザンコミックスという、海外マンガをクラウドファンディングで翻訳出版する新レーベルの第一弾として出版されたのです。クラウドファンディングには数多くの漫画家やイラストレーターも参加されていましたが、それもうなずける美しさです。

人生の哀歓が彩る音楽シーン

登場人物たちもとても魅力的です。刹那的でアウトサイダーで、警察に睨まれながらも、自分の道を貫き通す。実在の音楽家たちからインスパイアされた、陽気だけど悲哀の影をまとった渋いイケオジたちがたくさん登場します。

そんなはみ出し者の音楽家たちが酒場で演奏するシーンがほんとうに素晴らしい。水煙草の煙とともに揺蕩う歌声。それに聴き入るおぼろげな目をした聴衆。誰ともなく音楽に合わせて踊りだす客。音楽家とその場に居合わせたものとが一体となって生み出されるレベティコという音楽。その物憂げな空気感、そこに生きるものの息遣いまでもがリアルに伝わってくるようです。

音楽と共にある魅力的なモブたち

そしてそれは夜の酒場だけではなく、街角にたむろするならず者たちや、日陰で休むおじさん、物憂げに寝そべる犬たちも同じ。一コマだけしか登場しないモブ一人ひとりがとても克明に描き出されています。

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写真:『レベティコ―雑草の歌』/ダヴィッド・プリュドム 著/原 正人 訳/株式会社サウザンブックス社

レベティコという音楽を生みだした、どうしようもない人生を強いられた者たちの生きた証を蘇らせようとするかのようなこの作品、ぜひゆっくり味わっていただきたいです。(なお『レベティコ』には続編の計画もあるとか......)



2021.04.06

 
               
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